「クレジットカード審査の通過率100%を目指す」をテーマとした専門サイト
著:結騎 了(ゆうき・りょう)
その時の私は、どうしても新型のiP〇dが欲しかった。
ちなみにこれは多方面に配慮した伏せ字であり、決して大文字ではない。つまり「板」の方である。
初代より薄く小さくなった、洗練されたデザイン。
ビビッドな色合いが目を惹く専用カバー。
アプリによって広がる可能性。
その諸々に、物欲をちくちくと刺激されていた。
そんな「その時」からさかのぼること約50年。NHK総合テレビで『ひょっこりひょうたん島』という人形劇が放送を開始した。
そこに登場するあるキャラクターの口癖が「いつもニコニコ現金払い」であり、
ちょうど同番組の世代である母は、その影響か、昔からこれを信条としていた。
ことあるごとにその文言を呪文のように口にする母だったので、
我が家においてクレジットカードという小さくて硬い板切れは、どこか近寄りがたい存在と化していた。
「使うとリスクが発生するもの」という漠然なイメージは、母だけでなく、私や兄弟にまで染み付いていたように思う。
ある意味それは間違いではなく、
クレジットカードというものは、「信用」という土台の上に細かなツケを重ねるシステムで成り立っている。
週150円のお小遣いを懸命にやりくりして流行りのトレーディングカードを買っていた当時の私。
「信用」をもとに(一時的とはいえ)無から有を生み出すそのシステムには、言い知れぬ不安を抱いていた。
母にならって「いつもニコニコ現金払い」を信条としながら、私は晴れて社会人になった。
完全に親元から独立し、収入も支出も、その全てを自分で管理しなければならない。
初給料が振り込まれた時の感動や、そこから数万円を引き出して財布に入れる高揚感は、今でもよく覚えている。
映画を観に行ったり、フィギュアを買ったり、といったオタク趣味はあったものの、タガを外して散財することはなく、「信用」と関わる機会は依然として訪れなかった。
当然、「いつもニコニコ現金払い」への反証も現れない。
会社の付き合いでクレジットカードそのものは作っていたが、自宅の棚の奥でホコリを被っていた。
一生使うことはないだろう、そう思っていた。
明確な理由はない。ただ漠然と、不安で、怖かったからだ。
話は冒頭に戻る。
当時発表された新型のiP〇dは、その「不安」に真っ向勝負を挑んできた。
しかも、ついつい調べてみると、クレジットカードにはボーナス払いという制度があるではないか。
ボーナス払い、甘美な響きである。
そもそも、新社会人にとってボーナスとは、それまでに手にしたことのない額が一度に降ってくる、天変地異にも似た衝撃がある。
まとまった買い物をするもよし、貯金をするもよし、思い切って散在するもよし。
会社の先輩からも、「初ボーナスは大事につかえよ」とアドバイスをもらっていた。
そのボーナスが振り込まれる前に、未来のボーナスをつかうことができる。
財布にも通帳にも存在しないお金を、万単位でつかうだなんて、そんなことが本当に許されるのだろうか。
「波をジャブジャブジャブジャブかきわけて~」
『ひょっこりひょうたん島』のOPテーマが脳内に響く。本当に良いのか? 「いつもニコニコ現金払い」じゃなかったのか?
読者諸賢は当然、こうお思いだろう。
そうだ、待てばいいのだ。しかし、それが出来れば苦労はしない。
いつ買うの? 某予備校講師の尖った口先が、あの頃の私を分単位で煽っていた。
もし何かが起きて会社が一瞬で潰れてしまったら、どうしよう。
ボーナスは本当に貰えるのだろうか。
今となってはバカバカしい妄想に、社会人一年目の私は振り回されていた。
何事も、「最初」は不安が募るものである。
結論として、物欲に勝つことはできなかった。
手汗と共にカードを握りしめてレジに向かったあの時を、鮮明に覚えている。
「支払いはいかがされますか?」
「ぼぼぼ、ぼ、ぼぼ ボーナス払い でッ!!」
決して、鼻毛で戦うギャグ漫画の話ではない。親の教えに背いた若造の話である。
かくして、欲しくてたまらなかった新型のiP〇dは、その後数年間、使い倒されることとなった。
仕事でもプライベートでも大活躍。
今では型落ちとなり、嫁さんがキッチンで作業をしながら韓ドラを観るための専用マシンになったけれど、私にとっては「初めてクレジットカードで買った」思い出の品である。
その後、晴れてクレジットカードユーザーとなった私は、次々と「信用」を活用するようになった。
もちろん、計画的な利用に限っての話である。
ボーナス払いを活用して大型のテレビを買い、結婚式が月に3件重なった時はキャッシングも利用した。
ポイントを貯めればお得に使えることも、クレカ払いの方が楽なシチュエーションがあることも知った。
特にネット通販は、カードが有るのと無いのとでは大違いだ。
学校でクレジットカードの使い方を教わったことはないし、社会人になっても同様だった。
とはいえこれに限らず、「大人」になったら、いよいよ「教えてもらう」ことはできない。
疑問点は自分で調べ、計画的に解決しなければならない。「知らなかった」では済まされないのだ。
だからこそ、そこに「信用」が生まれる。
幼い頃に持っていた、クレジットカードへの言い知れぬ不安は、いつしか大人としての「信用」を獲得している自負へと変わっていった。
鼻で笑われそうなことではあるが、私にとって、クレジットカードを計画的に利用するという行為は、どこか「ちゃんとした大人」のイメージに近いものがあったのだ。
結婚し、子供が生まれた今でも、突発的な出費が訪れることは多い。
最近では、あれよあれよという間に娘がつかまり立ちを始め、本格的に歩く練習を始める必要が出てきた。
歩行器は、安い物もあるが、こだわれば高い。音が鳴り、キャラクターが喋る物もある。たかが歩行器、されど歩行器。
親は、子供に何かとイイモノを買い与えたくなってしまう生き物だ。
他にも、嫁さんのマザーズバッグもしっかりとした物が欲しいし、車ももう少し中が広いタイプに買い替えたい。
「信用」とは、今後もベッタリだろう。
あの頃の私がクレジットカードに抱いていた「不安」とは、一体なんだったのか。
もちろん、母から言い聞かされていた「いつもニコニコ現金払い」の呪縛もあったが、何よりも「無知」がその背景にあったのだろう
しっかり調べて、理解し、計画を立てて使えば、こんなに便利な板切れはない。
薄く小さいクレジットカード。
好きなキャラクターデザインから、洗練されたものまで、多岐に渡るデザイン。
ものによっては、財布の中で主張するビビッドな色合い。そして、何にでも使えてしまう、広がり続ける可能性。
・・・などと、こじつけてみたくなるほどに、私とクレジットカードとの仲を取り持ってくれたのは、他でもないiP〇dなのである。
そんな、思い出の「板」のお話。
[addtoany]
仕事と育児に追われながら「映画鑑賞」「ブログ更新」の時間を必死で捻出している一児の父。『週刊はてなブログ』『別冊映画秘宝 特撮秘宝』等に作品解説を寄稿。
ジゴワットレポート http://www.jigowatt121.com/