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この記事は、プロミスの会社について知りたい人のために書きました。
「消費者金融といえば?」と聞けば、「プロミス」を挙げる人も多いはず。
それほどに知名度の高い大手消費者金融プロミスですが、その業種のイメージだけで「なんとなく怪しい」なんて思っていませんか?
ところがどっこい、プロミスはその設立理由からして、とてもあたたかくやさしい会社なんです!
この記事ではそんなプロミスを会社概要から歴史、創設者の思いまでお届けしていきます。
プロミスの会社概要
商号 | SMBCコンシューマーファイナンス株式会社 |
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設立 | 1962年(昭和37年)3月20日 |
創業者 | 神内良一 |
資本金 | 140,737百万円 |
株主 | 株式会社三井住友フィナンシャルグループ |
事業内容 | 貸金業・保証業 |
店舗等(2018年3月データ) | 959店
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まずは会社概要をチェックしていきましょう。
プロミスは50年以上の歴史を持つ、消費者金融です。それほど老舗かつ大手なため、店舗数もかなり多く、とても利用しやすい消費者金融だと言えるでしょう。
また、プロミスは貸金業のほかに保証業も営んでおり、三井住友銀行カードローンやジャパンネット銀行カードローンの審査もおこなっているのが特徴です。
上記の会社概要表を見てもらえれば分かる通り、2019年現在の会社名(商号)は、「SMBCコンシューマーファイナンス株式会社」となっています。
プロミスがこのように名乗るようなったのは、2012年のこと。それ以降はサービス名としてプロミスという名前を使用しています。
プロミスの沿革・歴史をピックアップ
会社概要につづいて、プロミスの歴史の中でも、特に重要な点のみをチェックしていきましょう。
1962年|大阪市にて設立
設立当時の社名は「関西金融株式会社」、翌年1963年には「関西プロミス株式会社」へと変更されました。
その後、1969年には「東京プロミス株式会社」が発足されましたが、1974年には関西プロミスと東京プロミスを合併して、「プロミストラスト株式会社」へとさらに社名を変更しています。
設立からおおよそ7年で東京へと進出し、躍進したのですね。
そうしてまた月日が経ち、1980年。設立からおおよそ18年後、ようやくみんなの知る「プロミス株式会社」へと社名が変更されます。
1983年|業界初!自動与信システムの登場
プロミスでは「的確な与信こそ最大のお客様サービスである」という理念を創業からずっと掲げていました。
その理念から生まれたのが「自動与信システム」です。これは今ではどの消費者金融でも取り入れられている「申込者の情報をコンピューターに入力することで自動的に貸付可能か」を審査してくれるシステムのこと。
プロミスでは、このようなコンピューターによる判断を審査の1段階目に取り入れることで、人の私情を挟まない的確な審査ができるようにしたのです。
また、これによりグンと審査スピードも上がり、「即日融資が当たり前」の消費者金融業界を可能にしたのもこの功績によるところも大きいでしょう。
2012年|三井住友フィナンシャルグループの子会社化
2004年時点でプロミスは、三井住友フィナンシャルグループと業務提携および資本提携の契約を締結しています。
しかし、完全子会社化したのは2012年のことであり、これを機に社名を「SMBCコンシューマーファイナンス」と改めています。
「プロミス」の名前がブランド名となったのもこの時ですね。
2019年|WEB完結や即日融資をウリに進化をし続ける
2019年現在、プロミスは創業57年を迎えましたが、その勢いは今も留まりません。
インターネットやシステムの発展に合わせて、「自宅にカードが送付されない、店舗に行く必要もないWEB完結」の実施や、即日融資をウリとし、多くの貸付をおこなっています。
また、その躍進は日本だけに留まらず、中国の各都市やタイでも営業を続けています。
「プロミス」に秘められた創設者の思いとは?
貸金業者という言葉には、どうにもブラックなイメージを持ってしまいがちなものですよね。
しかし、その理念や成り立ちを知れば、そのイメージがガラっと変わるはずです。
創業者は「神内良一」氏
プロミスを創業した「神内良一」さんとは、1926年、香川県生まれの男性です。
農家の三男に生まれ、もともとは北海道での農業開拓を夢としていましたが、戦後の国そのものの貧しさゆえにそれは叶わず、児童福祉施設で働くことに。
しかし、当時の施設はあまりに劣悪な環境がまかり通っていて、それを目の当たりにした神内良一さんは「自ら施設を作ろう」と思い立ったそうです。
そこで事業資金を作るために目をつけたのが、消費者金融でした。
当時の消費者金融とは一線を画す理念
プロミスを創業した1962年当時、消費者金融といえば、法律が今ほど定まっていなかったこともあり、「人の弱みにつけこみ、貸せるだけ貸して荒稼ぎする」のが一般的でした。
今の時代のように年収に応じて貸すような仕組みはなかったのです。
しかし、神内良一さんはそれを嫌い、「返済できる範囲でしか貸さない」という仕組みを当時から作っていました。
「プロミス」という名前に関しても、「企業と顧客とが、約束を互いに守り、それによって対等で明るい取引をしよう」というポリシーからきているとのことです。
2017年、90歳にしてにこの世を去ったが……
神内良一さんは2017年、90歳にして亡くなっています。
しかし、それまでに「日本国際協力財団」を作り、国際的に福祉関係の支援をしているほか、北海道に「神内ファーム21」を創設するなど、夢をしっかりと叶えています。
そして、88歳時点のインタビューでは「贅沢する気はさらさらない」と、かなりの資産家ながら回答。
「稼ぐだけ稼いだら、それを使い切って死ぬのが理想」
「死んでも葬式や戒名、お墓もいらない。その代わりに作った財団や農場は死んだあと最低10年は継続してもらいたい」
というように残しています。
今も昔も本当にお金が必要な人のためを考える「プロミス」
プロミスの会社概要や歴史、創設者・神内良一さんの思いを読み、プロミスのイメージがガラっと変わったはずです。
プロミスは設立当初から今に至るまで、人の温情を大切にしている消費者金融です。
消費者金融の利用を「怪しいのでは」などと不安に思い、一歩が踏み出せずにいるのなら、プロミスを選んでみてはいかがでしょうか。