「格差社会」という言葉が生まれ、当たり前のように使われる世の中になって久しくなりました。変化が早い社会においても、貧困問題は変わらずに存在しています。
皆さんの記憶に新しい「老後2,000万円問題」をはじめ、「奨学金破産」も社会問題となっています。
今回は、生活困窮者など家計に悩みを抱える方々を支援する一般社団法人NTSセーフティ家計総合研究所のカウンセリングセンター長、有田宏美さんにインタビューしました。
奨学金は『借りている』実感がないのが問題
―まず、NTSセーフティ家計総合研究所を設立した経緯を教えてください。
設立したのは2016年の4月です。その前年に「生活困窮者自立支援法」が施行されました。
これまで身近に生活困窮者の声に触れてきたNTSグループでは、その経験を活かして民間でも支援できることがあると考え、当研究所を設立いたしました。
―設立してから約5年になるわけですが、この5年間にも世の中の変化を感じることはありますか?
この5年間と言われると特別大きな変化はありません。強いて言えば、新型コロナウイルス感染症の影響が一番大きいかもしれません。
ただ、私自身は約25年に亘って、お金の悩みを抱えた方の支援活動をしています。その期間で考えると、大きく変わったのは貸金業法の改正があった後からでしょうか。
あと、奨学金の問題は年々危機意識が高まっているように感じます。
―ここ数年で、奨学金問題を取り上げるニュースは増えましたよね。
そうですね。ここでは日本学生支援機構(JASSO)の貸与型奨学金を例にお話しします。25年前は奨学金を借りている学生は少なかったのですが、JASSOのホームページによれば、今はその子供世代のうち2.6人にひとりが奨学金を借りるようになっています。
これは、親世代の多くが奨学金に関する実感のないまま、子供世代の多くは奨学金を希望していることを示します。つまり、奨学金の仕組みについて、親から子へ実感のこもった情報が伝えきれていないご家庭が増えているということなのです。
そのため、子供世代の多くは、自分が貸与を受けている奨学金の仕組みが見えていないまま、奨学金を利用しているように思われます。
―私自身も奨学金を借りて、現在返済しているのですが、たしかに当時は「借りている」という感覚が薄かったです。
そうなんです。最初の頃は「奨学金=(借りているお金)」として意識していたとしても、毎月当たり前のように口座に振り込まれ続けると「奨学金(借りているお金)=返さないといけないお金」ということを忘れてしまう人が多いのです。
実際、私たちは奨学金に関する講演会をした後にアンケートを取らせていただいておりますが、たまに「奨学金に返還義務があるということを今日のセミナーで初めて知りました」というストレートな感想をいただく時もあります。
現実は、卒業して蓋を開けると何百万円という借金があって返還しないといけない。例えば4年制大学に進学した場合、MAXでは1ヶ月に12万円の貸与を受けることができるので、単純計算だと4年間で576万円さらに年3%を上限とした利子が加算されます。
この額になると、基本的には大学を卒業した年の10月27日から20年間、約2万5千円ずつを返していかなければいけない。これはとても大きな負担となります。
今の若い世代は、給料があまり上がらないなかで一定の負担を背負い続けることとなり、将来に不安を感じているのではないでしょうか。
―よほど稼げるようにならない限り、確実にその後の生活に影響を及ぼしますよね。
そうです。長期間にわたり返還しなければならないとなると、これは気の重い話ですね。
自分だけならまだしも、結婚したパートナーも奨学金を借りていたとしたら、それぞれが借金を背負っていることになります。また、「子どもに一番お金がかかる時期を迎えているのに、親2人がまだ自らの奨学金を返還していた」という事例も、最近では珍しくなくなりました。
そう考えると「え、結婚もできない?子どもも難しい?」とさらに不安が増すのも不思議ではありません。
―まずは「借金」という自覚を持たないといけませんよね。他に、奨学金に関して問題に感じることはありますか?
先のアンケート結果から、「約1割の家庭では、親と奨学生本人がお金(奨学金)のことについて話をしていない」ということが分かりました。
奨学金は、卒業後の返還開始から終了の日まで背負う借金ですから、将来ひとりで不安を抱え込むことがないよう、卒業までにご家族でしっかり話しておく必要があると感じています。
―奨学金の制度自体に疑問を持つことはありますか?
奨学金があるから進学できる学生が沢山いるわけですから、制度自体は素晴らしいと思います。
また、最近は給付型奨学金を推進、学生を支援しようという流れになっているのも良いことだと思います。ただ問題は、それを利用できる学生がまだ一部の限られた条件を満たした方だけとなっていることです。結果、多くの方は返還義務のある貸与型奨学金を利用しなければなりません。
そう考えると、奨学金を返還していけるような環境、例えば、若い世代の仕事を創造し続けていくことが大切だと思います。
―海外だと従業員の奨学金を返してあげる企業も増えているみたいですが、それに関してどう思いますか?
とても良いことだと思います。社会に出た途端に何百万円もの債務を若者だけに背負わせるのではなくて、企業がその返済の一部を支援することは若者の就労意欲にも繋がると思うので、そういう企業が国内にも増えてもらいたいと思っています。
家計の相談で大切なのは『交通整理』
―改めてですが、NTSセーフティ家計総合研究所の現在のご活動についても伺ってもよろしいでしょうか。
大きく分けると3つあります。
1つ目は借金の問題を抱えている方、家計に何らかの問題を抱えている方からの相談窓口です。
2つ目は先ほど少しお話ししましたが、大学や短大、専門学校、あるいは卒業前の高校生を対象に、奨学金やお金の使い方などをテーマにした講演活動です。
3つ目に地方公共団体の貸付担当者の研修活動です。
例えば、「母子父子寡婦福祉資金貸付金」というシングルマザー、シングルファザーを対象とした制度がありますが、その窓口担当者を対象にした研修です。
―講演会や研修も今(コロナ禍)はできないですよね。
そうなんです。ただ、直接お会いする以外にリモートでの家計に関する相談が増えています。「収入がダウンして、月々の返済が厳しくなりました」という相談です。
―やはり、相談は「借金を返せない」というような内容が多いのでしょうか。
はい。ただ、債務から逃れるための相談ではなく、「なんとか返済したい」という前向きな方からの相談が多いです。
家計カウンセリングでは、ただお金の問題を解決すれば良いのではなく、その背景にある心の問題を解決して、その方の再生につなげてあげることが大切だと考えています。
大切なのは家計だけではなく、心の「交通整理」してあげることですね。
―具体的にはどういったアドバイスでしょうか?
相談者の中には、相談に行くと怒られるのではないかと緊張したまま相談に来られる方もいらっしゃいます。的確なアドバイスをするためには、相談者が安心して何でも話せる環境を作らないといけません。安心させてあげること、これまでの頑張りを認めてあげることはとても大切だと考えています。
―例えば、先ほどの奨学金を返せないという相談もあるわけですよね。
奨学金を借りている方からの相談はありますが、奨学金の債務のみの相談にくる方は少ないです。
奨学金には返還が難しい際にセーフティネット(減額返還制度や返還期限猶予制度など)が設けられていますが、利用するには条件を満たしておく必要があります。残念ながら、私たちのところに相談にいらっしゃる方の大半は、このセーフティーネットを知らなかったり、条件から外れて、すでにセーフティネットを使うことが難しい状況になってしまった方々です。
奨学金に限りませんが、お金のことは返済の目途が立たなくなったら早めに相談をすることが基本ですが、何より、セーフティネットのような制度があるかをしっかり把握しておくことが必要です。
―相談にくる方の年齢層はどれくらいなのでしょうか。
30代以上、40代50代くらいの働き盛りの方が多いです。25年前は20代の相談者が多かったのですが、今の20代は堅実ですね。
25年前と比べると生活重視で人生の楽しみ方も変わってきていますし、そもそも借金に対する考え方の違いも見られます。
私自身、この研究所以外でも家計相談を受ける会を主催していますが、そこでも20代の相談者は少な目で、主に40代~60代、なかには70代の方がいらっしゃいます。
老後のために、お金だけに囚われない生き方をしよう
―もちろん70代でも色々な方がいますけど、私自身はお金に困っているイメージはあまりなかったので意外です。最近は「老後2,000万円問題」も話題になりましたが、実際65歳以降のお金はどのくらい必要だと思いますか?
私自身は、あの問題が取り沙汰されたときに「2,000万円」という数字だけが独り歩きした印象を持っています。その結果、額も大きいですから不安に駆られた方も多かったのではないでしょうか。
実際、老後に必要な金額は人それぞれで違います。2,000万円以上必要な方もいるでしょうし、そんなに要らない方もいます。そもそも何歳まで生きているかは誰にも分からないわけですから。
まずは自分が今どのくらいのお金を使っているのか、生活レベルを把握する必要があります。その先は時代の流れとご自身の考え方によって、今とはお金の使い方も変わってくることを理解しましょう。
老後に向けて、徐々に生活をダウンサイジングしていくこともとても大切だと思います。
―なるほどですね。生活をダウンサイジングしていく。
また、老後の不安はお金だけではありません。健康、孤独に対する不安もあります。
どちらにせよ、早めに行動することが大切です。健康が不安なら若い時期から健康維持に努める。お金が不安なら早めに貯金をする。孤独が不安なら地元のコミュニティに参加するなどです。
―最後に、私ども『すごいカード』は“お金のメディア”なのですが、NTSセーフティ家計総合研究所にとって「お金」をどう考えていますか?
哲学的で難しい質問ですけど、お金は生きていく上で絶対に必要ですが、それ以上でもそれ以下でもないと私は思っています。
相談にお見えになる方に、私たちが常々、お金との付き合い方、向き合い方としてお伝えしていることが2つあります。
ひとつは他人を意識しながらお金を使っても自分は幸せにはならないということ。友達がコレを持っているから、会社の同僚がコレを買ったからといっても、使えるお金は人それぞれです。
誰かをうらやみ、流されてお金を使っても、それで自分が幸せになるとは限りません。大切なのは自分の「幸せの基準」を明確にして、その基準に照らし合わせてお金を使うことだと思います。
もう一つは、お金は確かに資産ですが、資産はお金に限ったものではありません。社会人として誇りを持って働くとか、人との約束を守る、誠実に生きる、困っている人を助ける…。
私はこれらを「信頼の貯金」と言っています。今お金が貯まっていなくとも、今この瞬間から始められる資産作りは沢山あると思っています。
―勉強になりました。本日はありがとうございました。