HOME  お金とわたし倒れるまで働いて知った自分の「適性年収」by トイアンナ

お金とわたし
倒れるまで働いて知った自分の「適性年収」by トイアンナ


人生で倒れたことが、2回ある。1回目は、中学時代だった。何もやる気が起きず、体が動かなくなった。「特にハイなわけでもないが、普通に楽しい」毎日が、突然灰色になった。鬱だった。

学校には友達がいて、授業は楽しかった。それなのに体が動かない。ひどいときは、呼吸も1分に数回しかできなかった。学校を休みすぎて不登校となりかけ、なんとか卒業した。

そこからアップダウンはありつつも、治療を受けて寛解したのが23歳。それからは元気いっぱいで、今となってはあの時どうしてあんなに心が苦しかったのか、自分でもわからないくらいだ。回復したとき、人生はあまりにも輝いていた。だから……まさか2回目に倒れる日が来るなんて、想像もできなかった。

限界まで働くことに、やりがいを感じていた

運が良すぎたのだと思う。

私はほどなくして大学を卒業した。そして実力に見合わない外資系企業に入れてしまった。そこでは世界のリーダーになれる優秀な人材が、長時間労働をこなしていた。外資系企業は効率的に働いて早く帰ることをよしとする、とよく言われる。しかし現実の業務量は、効率化でどうにかなるレベルを超えたところにあった。

なにしろ、1人に任される業務量がおかしいのだ。業界や職種にもよるが、私の友人で最も優秀な人間は、朝5:30まで働いて、朝7:00に会社へ戻るのがルーティーンとなっていた。私はそこまで激務な業界にいなかったので、夜1:00には帰れていた。役員からヒラまでそんな勢いで働いていたから、それが激務だとすら最初は気づかなかった。

そして何より、仕事が楽しかった。初年度から信じられないほどの裁量権を与えられ、もがきながらプロジェクトを進めた。新製品の発売戦略立案、CM企画、消費者リサーチ、店頭ツール制作、屋外イベント開催……。やることは無限にある。やればやるほど理解が深まり、いい案が出しやすくなる。

2年目の終わりには、チームのシニアメンバーとなっていた。2年目で”シニア”といわれても意味が分からないと思うが、いま書いている自分も意味がわからないし、二度とできる気がしない。ただその当時、アジアのトップに報告する年次レビューを書きながら来年の予算を編成している私の人生は最高に充実していた。”Set the Bar Sky High”(目標は空高く掲げよ)、”Commitment means Delivery”(“ノルマ”という言葉は”達成”と同義だ)といった先輩の言葉を胸に、意気揚々と働いていた。

そこで倒れたわけではなかった

そこで私「は」倒れなかった。ただし、周りはバタバタと倒れていた。ヒラが倒れると、管理職にしわ寄せがいく。もともと少数精鋭で働いているから、一人が倒れたときのインパクトが大きい。このままでは私も倒れる。

当時、最愛の祖父が亡くなり、そのショックで祖母が要介護になった。体力の限界を感じていた私は退職し、祖父母のいる東京へ引っ越しを決めた。

そこから紆余曲折あり、私はライターになった。せっかくフリーランスになって勤務時間を変えらえるはずなのに、私は仕事を減らさなかった。これまでに身に付いた”激務習慣”を続けてしまったのだ。

なにせ働けば働くほどお金になるのがフリーランス。「あと1本書けば、月給〇万円増し」と思うと、ついうっかり働いてしまう。これまでに最もハードだった時期は、月に原稿を60本書きながら、書籍を同時に2冊書いていた。さらにインプットの時間も必要だからと移動時間は書籍に目を通し、人生相談を週3~4名は受け、取引先との飲み会も喜んで参加した。労働時間は平均して1日に12~18時間。バカである。

年収は増え、やりがいもあった。なんとなく目標にしていた「父の年収を超える」のを達成したときは、ささやかにお祝いした。そこで少し燃え尽きた気がして、仕事量をセーブし始めた。1日8時間労働で、普通の暮らしを楽しみ始めた矢先だった。

原因不明の病で、食事が摂れなくなった

そしてある休日、20時間くらい寝てしまった。以前から疲れが限界までたまるとそれくらい寝てしまうので、その日も「まあ、そういう日もあるか」と思った。ところが、翌日も、翌々日も、ベッドから起きられなかった。体がダルすぎて、動けなかったのだ。

仕事量を減らしたのに動けないとは……鬱の再発? ところがメンタルは超元気だった。やりたいことも、書きたいこともたくさんある。ただ、体だけが動かない。食事も流動食以外は戻してしまうようになり、蒟蒻畑とウイダーインゼリーをすすっていた。

精神科、内科、胃腸科……さまざまな検査をしても、原因がわからない。慢性疲労症候群、バセドウ病、うつ病、自律神経失調症……疑われる病気ばかりが増えて、そして当てはまらなかった。病名がわからなければ、対処法もない。

それから2か月、ほとんど寝たきりで過ごした。各所へお詫びのメールを書きながら、泣くにも泣けなかった。それでも心がやられなかったのは「絶対にいつかネタにして書いてやる」と思えたからで、そうでなかったら体調不良から本当の鬱になってしまったかもしれない。

体が壊れるのは一瞬 予兆はない

それから何とか病名にアタリがつき、いま服薬を始めている。しかし20代から続けた過労も遠因らしく、一生付き合う病になりそうだ。

だから、ここまで読んでゾっとした方は知っておいてほしい。体を壊す日は突然やってくる。予兆はない。「なんか頭痛いな……」だとか、「ずっと調子悪いなあ、まあいっか」なんてゆるやかに下り坂を降りることはできない。ある日、突然、倒れるのだ。

そして、倒れることを防ぐ方法は「働きすぎない」ことしかない。適正年収とは、1日8時間未満の労働で得る額だ。そして、若いからと激務に耐えられるとも限らない。結局そのツケは、30代で払うことになるのだから。

仕事が楽しいと、激務でも働けてしまう。だから怖いのだ。私も体を壊したくせに、もっと働きたい衝動と戦っている。「仕事が好き」も行き過ぎるとアルコール依存症とさして変わらない。仕事が好きな人ほど、長く働けるよう節酒ならぬ「節労」を考えてみてほしい。

PROFILE

トイアンナ

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慶應義塾大卒。P&Gジャパン、LVMHグループで合わせて約4年間マーケティングを担当。その後は独立し、主にキャリアや恋愛に関するライターや、マーケターとして活動。著書に『就職活動が面白いほどうまくいく 確実内定』や『モテたいわけではないのだが ガツガツしない男子のための恋愛入門』などがある。
ブログ:「トイアンナのぐだぐだ」